創造主・宇宙意思から、人類への啓示と救い ~ 『文明の創造』 と『奇蹟』 ~ 

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心算変哲の日記                 〔神山を拝して〕



 先日、携帯ニュースを見ていて宣伝に使われていた「七色占い」というものを見て、ふと、何気なく自分のを見てみた。

「長所」「短所」も簡潔に書いてあり、”うむ・・・なかなか当たっているではないか!”と苦笑交じりに、”気をつけないといけないなぁ”と、良い自分になるための一材料とさせていただいた。

 いろいろ他の人のも見ているうちに、長所と短所がなんと一見同じような内容であるものも数多くあったので、”実に人間の心を構成している魂と副霊は、千差万別で微妙で繊細で、また自分が相手を知ったつもり以外の意外な良いところがいろいろあるのだなあ”と参考になった。

 そんなこんなで、相手にたいしては魂というそれぞれ特性ある花をみるように、”苗字+花男さん、苗字+花子さん、というようにイメージして花を意識しよう”と思いついて、しばらくそうしてみようと思う。そうして、自分にたいしては、先日アップされた「メシヤ講座・三重」を読んでいると、「いつも我々は自分を省みてさえおれば良い。」と書いてあったが、つくづくそう思った。

 人間が人間を裁いてはいけないのであって、人間はどこまでも「観音行」をせよと言われ続けている。

『限りなく 栄えゆくらん観音行は 神の定めし真道にありせば』




 かつて、御教え拝読が進んでいない状態をみるたびに、”時間を埋めるには御歌ということになるかな”と思っていたが、同アップされたものを読んでいるとこうあった。

『御教えのすべては御讃歌にあり。之をなんべんも拝読すれば分かってくる』

『身魂磨きの一番の御教えは御讃歌に全部書いてある。心を潜めて拝読すべきである。』




 かつて伊都能売神皇様の御神魂がこの世に御出ましになられて、どのように身を示して、人々を御救いになられたのであろうか・・・。

『キリストも 釈迦もメシヤも観音も 人の姿の神にぞありける』

また根本神からだんだん御位を落とされていって観音様となったのである。

『光明如来 まばゆき光を和めさせ 世に観音と化現しませり』

『いと高き 御身に在りていと低き 菩薩の御名に救いますかも』

『思いきや 賤(シズ)の男子(オノコ)の現身に 宿かり給う観音畏し』

 なぜ、御身を一番低きところに置かれてスタートされたのであろうか、なぜそれを悪勝りがちな私たち人間に御示しされたのであろうか。

 その悪を裁かず悪を御救いされるあり方は、大きな大きな徳となっていったようだ。

『観音の 慈悲とは善悪無差別に 救はせ給ふ事にぞありける』

『八百万 神も諸善も天人も 仰ぐは観音の大慈なりけり』




 その御姿勢がイズノメの御働きそのものではないだろうか・・・。そうして、その御働きの原動力は「大愛」と「大慈悲」とある。

『救世の為 菩薩とならせ給いしは 大慈大悲に在せばなりける』

『大空に 輝く月と日の光は 聖観音の宝珠なるらむ』

 そうして、善や正を拒む心の岩戸も開いていくのであった。

『三千歳の 固き岩戸も観音の 玉の御手に打開くるならん』

 誠に味わうべき御歌である。

 そうして日と月たる根源が合わさって中に宿られたのが根本神である。

『観音の 衣をかなぐり捨て給ひ メシヤと生るる大いなる時』




 「観音行」の入門としてこうある。

『只管に 誠の道を履みゆけば 観音行の門に入るなり』

 まずは、自分を変える姿勢に逃げていては、それは誠の道にはない。

 そうしてどれほど誠をもって自分を変えようとしてきただろうか、神様の御守護と御導きのなか、どう変えていただいただろうか?

 「これまでどれだけ変わったか?」ということは、応身の観音様を手本として、「相手に応じてどれほど自分の受け止め方が変わったのか?」「受け止めてそれをどう言動に表して、相手がどれほど良いように変わったか?」ということではないだろうか・・・。




 心や言動についての目標・・・。

『礼節と 順序を守る事こそは 観音行の要なるらむ』

『博愛の 道よそにして観音の 行はあらじなこころせよみな』

『物腰も 宣る言霊も快き 人こそ観音行に叶えり』

『さもしきは 己が手柄を世の人に 示さむとする心にぞある』

『高き低きの 差別とてなく懇ろに 誨(オシ)う人こそ御旨に叶わむ』

『観音行の 完き人は些かの 佯(イツワ)り言も好まざるなり』




 他にない最高の覚りと徳積みを日々身に付けていく努力を・・・・。

『右に倚らず 左に偏らず中道を 歩むぞ観音行に適えり』

『応身の 観音ならで如何にして 自由無碍なる力揮わめや』

『自由無碍の 御力揮ふ観音は 十の御霊にあればなりけり』

『誰も彼も 慕いて来なり自ら 観音行の徳に靡かい』

 そんなこんなを想いながら、”これからは一層、御歌の拝読、朗詠を通して自らを磨いていこう”・・・、そう思ってやっている最中であるが、自分には急所良いこの御歌という御教えがピッタリ来るようだ・・・。







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